郷田九段が屋敷九段下し2勝目 将棋名人戦A級順位戦 [文化]

第70期将棋名人戦・A級順位戦の3回戦、郷田真隆九段―屋敷伸之九段戦は14日、東京・将棋会館で指され、郷田九段が129手で勝ち、リーグ成績を2勝1敗とした。敗れた屋敷九段は1勝2敗となった。

戦い、ついに右辺へ 囲碁名人戦第2局2日目 [文化]

●名人勝ち、1勝1敗に

 京都市左京区で打たれた囲碁名人戦七番勝負第2局は15日午後6時23分、井山裕太名人が挑戦者の山下敬吾本因坊に179手までで黒番中押し勝ちを収め、1勝1敗の五分とした。残り時間は名人7分、挑戦者2分。

 第3局は21、22日、青森県弘前市で。


●検討陣「名人優勢」

 右辺に侵入した白番の挑戦者は、左辺黒に脅しをかけながら必死に立ち回る。場合によっては右辺白と左辺黒の差し違えも辞さない態度だ。名人も黒157、165と強気に応じる。こちらは右辺で得をし、「左辺の黒をねらえるならばねらってみろ」という気迫が伝わる。両者、秒読みに追われながらの激戦。検討陣は「名人優勢」と判断している。


●戦い、とうとう右辺へ

 長らく続いていた左辺一帯でのねじり合いがほぼ一段落した。

 挑戦者が白124とサガったことで、左上から左下の白の一団がつながった。一方、黒は左下の白を攻めたことで、右下一帯に大きな勢力を築いた。白はそこへ侵入を試み、さらなる攻防が続いている。


●おやつの時間、深刻な局面に

 大変化の可能性をはらんだ難解な戦いは、午後に入って左辺黒の眼形をめぐる必死のコウ争いに進んだ。コウを争いながら攻防はさらに激しくなっている。

 左上の捨て石を活用して左辺黒の眼形を確かにしようとする名人に対し、挑戦者は白84、88、90と抵抗。左辺一帯を黒に譲って中央の黒六子を取ることも可能だったが、あくまでも左辺黒にプレッシャーをかける方針を選んだ。中央黒を動き出した名人は、黒91のコウダテから93と左辺のコウを争う。左上黒97のコウダテに挑戦者は中央白100で応じる。左辺黒や左上白が危険な状況。深刻な局面にさしかかった。

 と、ここで3時のおやつ。果物の盛り合わせとアイスコーヒーの名人に対し、挑戦者はやはり注文なし。


●名人、ねらいの一着

 2日目の午前中は、戦いの場が左辺から中央へ広がりながら、もみ合いが続いた。

 機敏な動きをみせたのは名人だった。黒77がうまい一着。捨て石だった左上の数子を活用し、左辺の黒の一団を生きようという作戦だ。その言い分を通せば、白は局面全体で苦戦を強いられる。この手を見て、挑戦者は頭を抱えた。

 名人が81手目を考える間に定刻の正午となり、昼の休憩に入った。温かいそばを頼んだ名人に対し、挑戦者はまたも注文せず。残り時間は名人2時間51分、挑戦者2時間26分。


●対局地は60年代の名建築

 第2局が打たれている茶室「宝松庵」は、国立京都国際会館の庭にたたずむ。会館は、毎年1月の全国都道府県対抗女子駅伝の折り返し地点としておなじみだ。

 そして、独創的な外観でも知られる。屋根は、鉄筋コンクリートの台形をいくつも組み合わせながらも、神社の社殿を連想させる。モダニズムと日本的要素の溶けあった建築は、丹下健三の右腕だった大谷幸夫氏の代表作。日本で初めてのコンペを経て、1966年に開館した。大谷氏は「古都の風情を損ねないよう、自然のたたずまいに設計の枠組みをゆだねた」という。築45年を迎えた会館は、周辺の比叡山や宝ケ池といった自然と調和し、静かに対話しているようにもみえる。

 そうした光景が目に入るのは、対局室の上座に座る名人。中盤の難所を迎え、その目には何が映っているのか。

 会館では15日午後1時半から3時半と、午後6時から終局まで、大盤解説会が開かれる。解説は瀬戸大樹七段、聞き手は井澤秋乃四段。定員各130人で先着順、入場料1千円。


●封じ手は「8の十四」

 井山裕太名人(22)に挑戦者の山下敬吾本因坊(33)が先勝して迎えた第36期囲碁名人戦七番勝負(朝日新聞社主催)第2局は15日、京都市左京区の国立京都国際会館で打ち継がれた。

 定刻の午前9時、立会人の坂口隆三九段が「時間になりましたので並べ直してください」と告げると、両対局者は1日目の手順をすらすらと再現しはじめた。並べ終わると、坂口九段が名人の封じ手、57手目を読み上げた。「封じ手は8の十四、出です」。厳しい手で、検討陣が本命として挙げていた。

 持ち時間各8時間のうち、1日目で名人が3時間59分、挑戦者が3時間48分を使った。15日夜までに決着する見通し。


「寒っ」「すごっ」数年で急速に広がる 国語世論調査 [文化]

「寒っ」など語幹のみの形容詞や、「来れる」などのらぬき言葉。よく耳にするこれらの言葉が、実際に広く使われていることが、文化庁が15日に発表した2010年度の国語に関する世論調査で裏付けられた。恒例の誤りやすい言葉の調査項目では、「雨模様」、「姑息(こそく)」、「号泣する」の誤用が、本来の意味での使用を上回った。

 文化庁が、国語施策の参考にするため、2月に全国で16歳以上の2104人に面接調査した。

 今回初めての調査となった形容詞の語幹のみの表現。「寒っ」については、「自分も使う」もしくは「自分は使わないが、他人が言うのは気にならない」が合わせて85%で、以下「すごっ」「短っ」「長っ」「うるさっ」も65%以上だった。

 同庁国語課によると、「寒っ」は、19世紀の滑稽本で使用が確認されているが、そのほかの言葉については、ここ数年急速に広がりを見せているという。「テレビを通じてこうした使い方を耳にしている人が多く、抵抗感はなくなっているのではないか」と分析している。語幹のみの形容詞の用法は、文法的には、間違っていないという。

 5年ごとに定期調査をしているらぬき言葉の使用は、「来れます」が前回調査から7.8ポイント増の43.2%、「食べれない」は、同じく8.6ポイント増の35.2%に伸びた。一方、「考えれない」は、2.4ポイント増の8.1%。今回新たに調査した「見れた」は47.2%、「出れる」は44.0%の人が使っていた。


井山名人が山下挑戦者に勝ち五分に 囲碁名人戦第2局 [文化]

第36期囲碁名人戦七番勝負(朝日新聞社主催)の第2局は15日、京都市左京区の国立京都国際会館で打ち継がれ、午後6時23分、井山裕太名人(22)が挑戦者の山下敬吾本因坊(33)に179手までで黒番中押し勝ちして、対戦成績を1勝1敗のタイに戻した。持ち時間各8時間のうち、残りは井山名人7分、山下挑戦者2分。第3局は21、22の両日、青森県弘前市で。

 序盤の競り合いから息をつく間もなく激しい攻防が続いた第2局。短い手数ながら熱のこもった力勝負を、名人が制した。

 中央黒57から始まった2日目は午後に入っても、盤面の左半分で難解なねじり合いが続いた。左辺で黒69から77と打った名人の一連の着手が巧妙。黒107から左下の白一団を厳しく攻めながら右下に勢力圏を築き、優勢に立った。挑戦者は白126から右下や右辺に侵入し、必死の追い上げを図ったが、名人が強気で押し切った。

 解説の山田規三生九段は「名人が最後まで緩まず、厳しい手を放って勝ちきった。挑戦者も序盤から戦う姿勢を貫き、見応えのある対局でした」と評した。(深松真司)

 井山名人の話 構想に無理があって苦しいと思っていた。2日目もずっと自信はなかった。最後の中央の攻防で優勢になったと思います。

 山下挑戦者の話 1日目はやれると思っていたのですが……。2日目の午前中に左辺で誤算があった。以降はだいぶ悪いと思っていました。


東大寺法華堂の部材は731年伐採 寺要録も年代合致 [文化]

奈良・東大寺の法華堂(三月堂)で進められている年輪年代調査で、仏堂の建築に使われた部材の一つが、731年に伐採されたヒノキとわかった。堂内の八角須弥壇(しゅみだん)で729年伐採のヒノキ材が見つかっているが、建物本体でも730年代前半に建立されたとみられる痕跡が確認され、記録集「東大寺要録」の記述が正しい可能性がさらに高まった。

 奈良文化財研究所の客員研究員でもある光谷拓実(みつたに・たくみ)・総合地球環境学研究所客員教授が調査し、天井近くにある部材で表皮が削り残されていたことが判明。その下にある年輪の幅を計測して、731年伐採が確認された。過去の調査では、古代の木材は伐採から数年内に使用されたとみられる例が多いという。

 平安時代に編まれた東大寺要録には、「733年に羂索(けんさく)院(法華堂の旧名)が創建立された」「本尊の不空羂索観音像が造立されたが安置場所が定まらず、数年後に都(平城京)の東側の山に決まった」などと記されている。調査結果からは、不空羂索観音像が載る八角須弥壇が当時の東大寺の中心施設、法華堂より数年古いことになり、これも要録の記載と合致する。


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